熊田禎宣先生を偲ぶ

2009年5月13日の夜、突然の訃報が入った。
熊田先生が亡くなった…
これほど急で、そうして予想外の事は、今までの私の人生において初めてのことだ。
先日(9日)に、東京駅近くで、一緒に会食をしたばかりである。
先生は、「熊」という名のとおり、体が大きくて外見が怖いだけではなく、口調も怒鳴り散らすような人だった。特に、若い頃の先生の下で育った私たちは、怖いという感覚が拭いきれない。それでも私たちは先生を恩師と思っている。特に私とっては、最も偉大な先生であるとさえ思っている。既存の学問を批判的に捉え、怒りを覚え、そうして常に新しい学問を創造する態度、先生の態度はそこに一貫しておりまったくの揺らぎがない。こういったことが、私の研究人生の基盤になっていることは間違いないのである。

私は高校時代から数学が大好きで、将来は数学者か理論物理学者になりたいと考えていた。
田舎育ち(瀬戸内海の島)で、また今のようにインターネット環境があるわけでもなく、数学というものがどういう学問か、を知ることができなかったようである。数学は、「問題を解く」ものだと思っていた。いわゆる受験数学である。それでも受験数学はできたようだから、数学科に入れたわけである。
ところが、数学とは「解く」ものではなく「作る」ものだったのだ。これは何も数学に限らず、すべての学問に言えることなのだが…。しかしながら、いつまでも幼かった私は、大学時代は「作る数学」を「解く数学」として勉強していたのである。
言うまでもなく挫折!

大学でやってきた「解く数学」を生かせる道はないものだろうか。就職するのが嫌で、数学専攻以外の大学院への進学を考えていた。社会工学専攻に計画数理という講座があった。当然ながら、社会工学を勉強していないと入試には受からない。しかいうまい抜け道があったのである。当時、システム科学という専攻があり、その学際性から、専門科目はどの専攻で実施する入試でも構わないということであった。そこで数学専攻の入試を受けて、晴れてシステム科学専攻に潜り込めたわけである。システム科学専攻の社会工学専攻の計画数理講座、それがまさに熊田研だった。

大学院入試の面接で記憶に残っていることがある。どうでも数学の試験で社会工学の研究室に入りたいという、何も分かっていない変な奴がいる…。おそらく熊田先生はそう思ったことは疑いない。私が逆の立場でもそう考えるから。熊田先生は私に聞いた。「どうして君は社会工学を勉強しようと思ったのかね?」「はい、これまで勉強してきた数学を、数学の分野以外で生かそうと思ったから、それに誰もが容易に納得できる物理や情報科学では、物足りないから」とか何とか答えたように思う。熊田先生はニヤって笑って、「それは君の直感って言うわけだな」と応じた。
 
思った以上に「数学専攻」の入試問題が解けて、無事、熊田研究室に入ることができた。ここからが私の学問に対する考え方の大転換の始まり。
驚いた。
なんで??
こういった研究ばかりだった。
ここは計画数理じゃなかったの?
みんな何かを作っている。勉強してない。問題を解いてない。遊んでるんじゃないの?
それに、数式はどこにあるの?数学はなくてもいいけど、数式は?


人間って変わるものだ。
今もし、ここに23歳の自分と会えるなら、なんと幼稚な大学院生に見えることでしょう。
学問の考え方がまるでできていないのである。
研究とは何であるかが、まるで分かってないのだ。

それでも熊田先生は、私を見捨てることはしなかった。
どうしてか。
研究室先輩の方々や同輩の人に聞いてみたことがある。
どうも熊田先生は数学コンプレックスだったらしい。
助手の先生が、熊田先生のある論文を見せてくれた。
そこには、トポロジー(関数解析)という抽象空間における双対概念を用いた最適化問題の変換について記されていた。ふぅ〜。

そうか。
だからこんな私でも、研究室に置いてくれたんだと思って、正直、ちょっぴり優越感を感じたし、元気も出た。こんなことが研究能力とは無縁のことくらい、大学院生にもなって分からなかった私は、まだ研究者ではなく、単なるクイズ回答者に過ぎなかったのでしょう。

私に研究とは何であるかを教えてくれたのは、先生である。
もちろん、研究とはこうである、って教えてもらったわけではない。
無茶苦茶なことを言うし、理不尽なことも多く言う。
それでも尊敬できる何かが、先生にはあった。
繰り返すことになるが、それは、批判的な観察眼と、怒りの感情と、新しいものを創造する態度である。熊田先生に批判的な人は、とかく前者二つに影響されていると思うが、ものを創造するというのが学問の原点であり、研究者のもっとも大切な態度である。こういったことを軽視しすぎてはいないだろうか。批判や怒りはそこへのエネルギーに過ぎない。

私が先生に教わったことは、まさにこういう態度であり、私はその態度を忠実に守って行こうと思っている。

急なことでまだ、整理できていないが、とりあえず、これが今の私の気持ちです。
熊田先生、安らかにお眠りください。
生前、先生がおっしゃっていたことは、残された私たちが受け継いでいこうと思います。
天国から、批判的に、たまにはお怒りになって、楽しみに観察していただけたら幸いです。

合掌。

平成21年5月15日
木谷 忍

 

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