生まれてから学生時代までを振り返って。。。

 山口県の周防大島で生まれました。昔は山口県のみかんの90%を生産しているミカンの島でしたが、今では荒れ放題のミカン畑が山々に散在しています。当然のことながら、過疎化(高齢化)とミカン価格の暴落が原因です。幼少期のころは、本家の田んぼの農作業を母親が手伝う傍らで、従兄弟たちと遊び、農作業の邪魔をしては伯母さん達にに叱られる毎日でした。私の人間の基礎はこの辺りにあるようです。

 中学校に入ると、試験期間というのがありますね。私は最初の試験期間、いつものように学校から帰ると悪友と夕方遅くまで外で遊んでいました。伯母さんの一人に教員がいまして、こっぴどく叱られた事を覚えています。試験期間は少しは勉強していなさいと、前もって一言言ってくれたら、勉強はしないけどおとなしく家で遊んでいたのに。。。。。 だいたい、勉強する気がないのに勉強するのは苦しいだけです。

  中学校3年のときに、難解な因数分解を解いて自慢する数学の先生がいて、先生に負けたくないという気持ちだけがきっかけで、数学が好きになりました。高校でも数学の勉強だけは苦になりませんでした。でも、これが数学ではないと分かったのは大学に入ってからです。

 数学とは、少数の人が対象として共有できる「美」の論理学です。解析学においてε-δ論法が決定的に重要なことは、今の教養数学のカリキュラムではだけでは理解できないのではないでしょうか。そして、理工系の殆どの人が落ちこぼれていきます。トポロジーを勉強すると、ε-δ論法はごく特殊な場合の論法であることが分かってきます。カテゴリー論というのを4年生でやりました。これも当時は訳の分からない抽象論でした。しかし、大学院でシステム理論を勉強したときに、大変重要な理論であることが分かってきました。集合論的に「対象」を定義づけるという古典的な数学手法から、いくつかの「対象」の間の関係からユニークに「対象」を定義づけるという、システム本来の考え方(機能によって対象をとらえる)とマッチします。

 というようなことで学位論文では、社会的決定プロセスを、システムを拡張していくなかでの学習プロセスとして捉える枠組みを作ってみました。ただし、この研究はここでストップし、以後はまったく関係のないことをやっています。後で述べますが、ごく最近になって再び研究してみようかと思わざるをえないある事実を発見しました。

 大学院に入って、恋をしました。当時の東工大は女子学生比率が3%程度でして若い女性と話す機会は殆どありませんでした。必然の成り行き?として恋に陥ると重症です。今となっては甘酸っぱい思い出ですが、このおかげで学位論文を仕上げることができました。

就職してこれまで

 就職のことは全く考えたことはありません。興味なかったです。予備校で少し働けば衣食(住)に困ることはなかったし、それよりもカテゴリー論にはまっていました。ガード下でぶつぶつ言いながら一人でカテゴリー論の本を読んで考え込む。カテゴリー論は1ページでゆうに1日分、いや1週間分楽しめます。自分のこんな将来を想像するような『変人』でした。

 学位をとって1年後に指導教官から助手のポストを与えられ、忙しない毎日を送るようになりました。私を自分で評価すると、自己主張の少ない人間だと思います。このことによって後に決定的な人生コースが待っているのです。ともかく、このときは社会調査、統計分析など実務的なことを学生に「指導」しました。当時の学部生に教えるだけの統計学を身に付けるのはごく簡単なことでした。それよりも、社会性がありませんでしたから調査に行って人と話すことがこの上なく苦痛でした。

 当時、唯一の発散は、指導教官から「最適化数学」の講義をまかされたことです。指導教官の方針で、工学部にもかかわらず数理計画法をトポロジー(関数解析学)から学ばせるという、大胆なことをやっていたのです。勿論、殆どの学生は理解できません。というより理解しようとしませんでした。こんなことで、カテゴリー論から離れていき、ついには何でも屋さんになってしまいました。

 3年後に、帝京技術科学大学の設立と同時に千葉に移りました。あっ、そうそう、助手になって2年後に結婚しました。このいきさつは省略します。情報システム学科といってコンピュータのソフト研究です。私は数学とかオペレーションズリサーチとかを担当していましたが、学生の卒論テーマなどを今みると何をやっていたのか理解できないものばかりです。指導方針は二つ、面白いことと、筋道が通っていることだけなのです。例えばこんな研究?がありました。ポーカーゲーム必勝法、あいまい推論による虫取りゲームなどです。

 さらに5年後、東北大学教養部にやってきました。どうやら、社会調査担当教官ということで採用されたようです。(実は社会調査なんてあまり興味ないのです) 山口県出身者にとって東北は遠かったけど意外に寒くないのに驚きました。というより、人間は年をとるごとに寒さを感じなくなるか、あるいは昔は暖房設備が悪かったのかもしれません。小・中学生のころに冬の寒い中を通学した苦痛と、仙台の冬の通勤は後者のほうがずっと楽です。東北大学に来るなり教養部改組となり、新研究科をつくるだの、どこに配置換するのかなど教養部教官同士の綱引きが活発化してきました。前にも書きましたが、私はこんなことはあまり興味ありません。どこでもいいのです。また自己主張しない人間なのです。ということで、最後になって、農学部に声をかけていただき農学部所属になった訳です。このとき、農学部に経済系があるとは知らなかったし、私は経済学を勉強したことがないという事実は重要です。

 経済学を少しは勉強しないといけない、と思いましたがマクロ経済学は何がなんだか訳が分かりません。ミクロ経済学も直線を使ったグラフの説明ばかりで興味が湧きません。唯一、ゲーム理論だけは少しは面白いと思いました。文学部に行動科学という分野があり、そこで少し勉強させていただきました。しかし合理的個人という分子からできる気体(社会)の性質を研究する学問として経済学を定義するなら、それはそれでいいけど自然科学の発想と同じです。それどころか、自然科学とは違って尤もらしく価値判断を加えることで「害」をもたらす可能性があります。(このことを自然主義的誤謬ということを後で知りました) でも、歴史の合理性や信念の合理性まで加えていくゲームの理論の方向性を見たとき、興ざめしてしまいました。(サブゲーム部分均衡、ベイズ均衡などです)

 経済学はやはり価値基準を前面に押し出さないと私にはつまらないです。だから倫理学の方が興味あります。ただし、一つの価値を前提にするのではなく、ムアの言うように、普遍的な『善』は存在しないという立場は大切だと思います。『善』とは何かではなくて、ある行為を『善』と判断する基準に論理的矛盾はないのか、またある基準ではどのような行為を『善』とする傾向があるのか、こういった研究には興味があります。たとえば、配分論理が未解決であったユダヤ教のタルムード(正当な要求に対する資源配分の基準)が、20年くらい前に実は協力ゲームでのマクシミン配分(仁)であったことが証明されたことや、米国の議員定数配分の論理が200年以上もの歳月を経て完成されてきた事実(アラバマパラドックスの克服)などです。さらに、人間の自由な意思決定というのは原理的に存在しうるのか(ニューカムのパラドックス)なども、いつまでも甘さを失わないガムをかんでいるようで楽しくてしかたありませんでした。

今の私

 今になって自分が何に興味をもっているのかが少し理解できるようになりました。それは人です。カテゴリー論に興味があったのは、「対象」そのものではなくその間の関係から「対象」を定義づけるということだからです。人を独立して存在する自由個人ととらえる科学には興味がないということが分かりました。でも自己主張はしません。自分の心への主張です。アマルティア・センは、資源の平等を、資源のもつ物質的あるいは経済的価値ではなく、それが人に何を与え何をもたらすのかを基準に分配的正義を説きます。それは人と人との関係性(家族は大きな関係性)に影響を与え、それが人を「定義」するのです。経済学モデルとは真反対のモデルかもしれません。

 私が4十数年生きてきたことはこんな単純なものです。臆病で人に言いたいことが言えない人間です(そんなことはあるか!、という人もいるかもしれませんが、それは私をよく知らない人です)。消費という面では極めて慎ましく、不況の元凶のような人間です(安価な嗜好)。だから私のような人間に政府が多くの資源を与えることはないのです。(ただ不幸にも、私の家族は逆です(高価な嗜好)、まるでノージックのいう才能の奴隷化を地でいっている。別に特別な才能があるのではないけど家族からみた相対的なもの)。この辺りの議論は、近年の正義論で活発な議論があります。例えば、高価な嗜好が生育環境故に形成され自発的ではない場合はどのように考えるべきかとか。

 あと長くて3十数年、何が私に起こるのでしょう? このこともあまり興味ありませんが、一人ぼっちで世界のしくみを時間を忘れて自由に模索することができる環境がほしいです。いまから老後が楽しみです。この模索は自分のためであって人のためではありません。だから自分だけ納得できればそれでよいのです。人に分かってもらう必要ありません。私は仙人になりたいのです。一人でいろいろなことを考えたいのです。たった一行で書ける数学の難問を、時間と場所を変えながら何ヶ月も一人で考えつづける楽しさ。この楽しさが分かる人は理解していただけると思います。

 いま思い浮かべていることは、センのいう『生き方の幅』の平等配分という構想を定式化するのに、学位論文で研究した拡張形学習モデルの枠組みが使えるかもしれないということです。カテゴリー論の復活です。消費して効用(幸福)を得る、といった考えとは全く異なり、体験して生き方を知る?、とでも表現できるような新しい経済学構想です。(夢ですよ夢、夢で終わっても本望です。。。)でも、年が年だけにカテゴリー論を復習するのは大変そうです。

 情報発信に興味のない私が、ホームページを開設することに矛盾を感じるかもしれません。私はただ、私のような人間もいるのだと理解してほしいのです。人とつきあうことに大変な苦痛を感じる一方、人間は大好きで、人間相互の行動を眺めながら世の中の意味を一人思い描くことが楽しい、こんな人間の存在を認めて欲しいのです。決して自己主張して世の中を乱すようなことはいたしません。研究も教育も仕事の範囲でやります。だから、その他ではそっとしておいて欲しいんです。これは私の身近な人というよりも、社会全体へのお願いです。何かこういう風に生きなければいけない!っていうような空気が充満していて息苦しいのです。

おわり

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