東北大学農学部翠生会主催:雨宮キャンパス感謝祭

雨宮キャンパスの名所・旧跡

①守衛所

農学部の正門から入ると、すぐに目に入ってくるレトロな建物。『農学部の顔』とも言うことができるこの建物は、雨宮キャンパスの守衛所です。実はこの建物、知る人ぞ知る旧制二高等学校時代の貴重な建物なんです。

大正14年(1925年)に旧制第二高等学校が北六番丁に移ってきたときに門衛所として建てられました。以来91年、同じ場所で二高生、宮城一女、そして農学部生を見守り続けています。


②レンガ壁

農学部の周囲を囲むレンガ塀。随分年季が入ってるなぁ、と思われるかもしれませんが、それもそのはず。このレンガ塀も、もともとは大正14年に旧制二高が移転してきたときに作られたもの。そのレンガ塀の下部が部分的に残されているんです。


③北六記念苑

旧制二高の同窓会・尚志会は、長年にわたって活動を行い、記念碑等を整備されてきました(尚志会は2011年に解散を宣言されました)。尚志同窓会についてはこちらをご覧ください。

雨宮に整備された記念苑が、北六記念苑です。このエリアには、由来を記した碑粟野観音像雄大剛健石碑明善寮分散歌碑などがあります。


第二高等学校北六記念苑碑

北六記念苑は、1996年(平成8年)、旧制第二高等学校尚志同窓会の寄付によって整備されました。このとき、粟野観音像と二高雄大剛健之碑の近傍に、明善寮中杉山通碑を移設し、明善寮分散歌碑が加わりました。なお、同時に東北大・片平キャンパスの一角に、二高片平記念苑が整備されています。

粟野観音像

北六記念苑の中でも一際目を惹くのが、粟野観音像です。この観音像は、旧制二高の粟野健次郎先生を顕彰して建立されたものです。台座にある碑文には、観音像の云われとして、以下のような内容が記されています。

粟野健次郎教授は無類の学識、卓抜な警句、超俗な風格で二高生を傾倒させ、敬意の的でした。同窓生が功績をたたえる銅像を造ろうとしましたが、粟野教授は自らの姿を残すことを拒まれました。そのため観音像を建立してそれに代えることとし、昭和10年、彫刻家の國方林三氏により奈良中宮寺の彌勒菩薩を模した観音像が造られました。台座の巨岩は荒巻山産で約38tと言われています。二高生から「粟野観音」として愛され、戦後の三神峯移転時には台座を残して移され、さらに東北大教養部として移転にともない、川内キャンパスに移されました。昭和53年、旧制二高95周年に際し北六番丁の農学部敷地内に残されていた台座の巨岩上のもとの場所に戻りました。

粟野健次郎(1864年〜1936年)


元治元年 (1864年)一関藩士の家に生まれる
明治20年(1887年)23歳で第一中等学校教授となる(英語)
明治25年(1892年)第二高等中学校教授
昭和 7年(1932年)退職

第一中学校(東大)で教えていた時に夏目漱石が在籍しており、漱石がロンドン留学中に神経衰弱になった際には粟野が看病したことから、三四郎の広野先生のモデルと言われています。

二高雄大剛健之碑

『雄大剛健』とは、二高の校風を表しています。明治のころは『質実剛健』とされていたのですが、後に第5代校長・三好愛吉先生の時代に、より開放的なイメージを持つ『雄大剛健』になったのだそうです。雨宮キャンパスにある大きな石碑は、旧制二高の90周年にあたる1976年(昭和51年)に設置されました。

明善寮中杉山通碑と中杉山明善寮分散歌碑

明善寮とは、農学部と愛宕上杉通りをはさんで向かい側に位置する東北大学の学生寮ですが、もともとは旧制二高が設立したのが前身です。旧制二高が北六番丁に移ってきたときに旧明善寮が建設されましたが、その前の1925(大正14)年9月から1927(昭和2)年3月までの期間は、中杉山通り12番地(青葉区錦町)の平屋を借り、明善寮(定員18名)としました。

なお、現在の明善寮は1982年に建て替えられたものです。




雨宮のアルバムに残る貴重な思い出です。

④講堂(旧)

正門にある守衛室と並んでレトロな雰囲気を醸し出していた旧講堂。 戦後の一時期、北六番丁のキャンパス内にあった宮城第一女子高等学校が昭和24年に建てたものです。昭和28年に一女高が現在地(中島丁)に移転して以降、農学部に引き継がれました。その後、体育館として農学部の学生・教職員が卓球やバトミントンで汗を流し、農学祭でのバンド演奏の場として親しまれてきました。晩年は老朽化のため倉庫として使われていましたが、東日本大震災で打撃を受け、2013年7月、惜しまれつつ解体されました

なお、北六記念苑の西側に、宮城第一女子高校の記念碑があります。


⑤旧制二高の記念碑・記念樹

  • 守衛所石碑
    1996年(平成8年)設置
  • 創立100周年記念植樹
    1986年(昭和61年)設置
  • シナノキの並木
    1986年(昭和61年)設置
  • 創立100周年記念植樹碑
    1986年(昭和61年)設置

⑥科学部実験室

見た目はボロボロの車庫なのですが、この建物は旧制二高の科学部実験室として1942年(昭和17年)に建てられたものです。戦災を免れ、宮城第一女子高でも化学実験室などとして使われました。築74年になるこの建物も、正門の守衛所と並んで、雨宮の学生を見守ってきた建物なんですね。

農学部移管後は、1959年(昭和34年)に現在地に移され、改装されて車庫となっています。


⑦水泳部プール

ただの貯水池ではありません。実験のための施設でもありません。ここは水泳部のプールだったんです。1930年(昭和5年)9月2日に竣工しました。長さ25メートル、幅11.2メートル、レーン数6の鉄筋コンクリート構造で、プールサイドには脱衣場、シャワー、役員準備室が置かれていました。1937年(昭和12年)に50センチメートル深くしたことで、仙台市内唯一(当時)の水球公認プールとなりました。


⑧農学部35周年記念植樹

東北大学農学部は、1947年(昭和22年)に東北帝国大学農学部として設置され、1982年(昭和57年)に35周年を迎えました。3本のカツラと根元の日高石は、それを記念したものです。


⑨旧制二高蒸留室

まわりを植物に囲まれ、お化け屋敷のような雰囲気のこの建物もまた、雨宮キャンパスの中で最も古い建物の1つです。その正体は、1925年(大正14年)、科学実験の設備として設置した鉄筋コンクリートの蒸留室です。農学部移管後は東に増築されて、RI実験棟や研究室などとして使われてきました。築91年の歴史の歴史があり、今は人の出入りも無いように見えますが、現在も翠生会のサークルが使っている現役の建物なんですよ。


⑩二高武道寮入口跡

1935年(昭和10年)、旧制二高の柔道・剣道・弓道の三つの武道部のために、元・仙台一中の寮舎を移築しました。戦後は、東北大の浩(こう)寮として1976年(昭和51年)まで使われました。